昨日の収穫と自然食生活の試み … 畑と食生活・WanderVogel2017/05/29

フキとジャガイモ
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昨日の畑仕事、新ジャガは2度目の試し堀りで、収穫はこんな感じに押えています。
ジャガイモのサイズはまだ小粒で、数も少なくはあるが、使い勝手ではこのくらいのサイズでも問題はないだろう。

中くらいのサイズのジャガイモは洗ってラップをかけて、レンジで3分程度チンすれば手軽に茹でジャガが楽しめる。
チンし終わって5分程度放置しておくのがポイントで、適度に蒸らされてちょうど良くなる。
スライスして塩コショウして食べると、小腹が減ったときの間食にちょうど良い。安上がりだし、何よりヘルシーな健康食というわけだ。
と、あらためてここに書くようなことでもなく、まぁ、どうでもよい些細な話なので、それはこのへんにして、


二十歳くらいから、中近東やパキスタンやインド・ネパール・チベットなどといった途上国を何度も旅をして来て、これまでに様々な土地に出かけてはその土地の食べ物を口にしてきた。
その経験が今の僕の「食事」や「食生活」に対する考え方に結びついてきているのだと思っているのだが、ここ十数年は特に、自分で作って食べることを中心に、食生活を組立てるようにしている。
実際にはまだまだたいした食材も料理も作れないでいるのではあるが、「志」だけはいつもそうあろうと気を配っている。

中近東やインドでは、肉と言えばヤギやヒツジが主流で、食肉牛や食用の豚というのは食べない。
ヤギやヒツジが「獣」かどうかは置いておいても、かの地域では一頭捌くことになると頭の先から尻尾の先まで、内蔵はもとより血の一滴まで大事に利用し調理に使う。当然、ミルクやヨーグルト、バター、チーズといった乳製品だって、ヤギ・ヒツジあるいは水牛やヤクの乳が原料となる。
いわゆる野生に近い肉の料理が主流の国々と言っても良いだろう。

そういった国々への旅の影響もあって、ジビエ(獣や野鳥)料理には今でも大変興味を持っている。一時期、かなりのめり込んだことがある。
「狩猟」して「食べる」いわゆる、キャッチ&イートというやつである。

実際に、鉄砲(散弾銃)の免許と鳥獣狩猟許可を取得しているし、「鳥猟」にも参加してみたこともある。で、そこで解ったことなのだが、野鳥はともかくとして、四つ足の獣(シカやイノシシ)を猟で仕留めて捌く、などということはとても僕には無理だと気が付いた。
あまりに残酷すぎて、僕のへなちょこのガラスの心臓ではとても撃てないし、ましてや「捌く」などということは絶対にムリだ。

TVやラジオが無いのでマスメディアがどう伝えているのかはわからないが、TwitterやFaceBook等で漏れ伝わってくるところでは今、世間では「ジビエブーム」が静かに進行しているのだという。
若い女の子の猟師(志望?)も出てきているとも聞いてる。
日本でも古くから「職業猟師」というか「山の民」が一定数いたのだろうが、当時でもかなり特殊な人々、集団だった、と何かの本で読んだことがある。
残念ながら、我が一族の身体の中にはそういったDNAは入り込んでいないようだ。


なので、今のところ自分で手に入れられるものとしては、畑の幸(野菜)と山の幸(山菜・木の実、キノコ類)ということに限定される。

これに渓流魚(イワナ・ヤマメ)を食材のひとつに加えても良いのだが、いつの頃からか釣り方がフライフィッシングというスポーツフィッシングに移行してからは、食材という感覚があまり持てず、釣ってもすぐにリリースしているのが現状だ。
でも、たまには持ち帰って来て、料理してみるというのも良いかもしれないな。昔のように、、、


何はともあれ、僕のここ十数年の食生活を顧みても、コンビニやスーパーの出来合いのものを買ってくることは皆無だし、外食というのもほとんどしなくなった。
粗食(一汁一菜)ではあるが、きちんと自分で食事を作り食べるという生活をしているからか身体の調子も良く、病気とも縁がない健康的な毎日を過ごすことが出来ている。良く言えば「清貧」という生活スタイルということだ。

生活全般に関して、江戸時代や明治時代の生活様式に回帰するようなことを望んでいるわけではないし、今より昔の方が空気もきれいで山野も緑に溢れていて、山の動物たちとも共存共栄する自然豊かな環境であった、などという言うつもりも毛頭無い。

一日の食事のカロリーや栄養値から言えば、江戸時代や明治・大正時代の食生活・食文化を今の生活に持込めば、すぐにでも栄養失調で倒れてしまう。
「清貧」を実践するには、人並み以上の知恵と手間を掛ける必要がある。何より面倒くさがり屋さんにはとうてい勤まらない。
現代社会で「清貧に生きる」ということは、精神的にも肉体的にもお金の使い方も、かなりハードルが高いと言えよう。


最近はあれほど好きだった「外で飲む」ということすら、何か特別なことが無い限りほとんどしなくなったのには自分でも驚きだが、山に入ってもアルコールはほとんど飲まなくなった。
ネパールの山を歩いていても山の中ではアルコールはまったく口にしないので、必然的に山に入っている10日間から2週間近くは一滴も飲まない断酒生活を送ることになる。
そのおかげなのか、標高を上げて(5,000m近く)も特に身体に変調は現れない。もともと高山病に強い身体なのかもしれないが、、、

たまに、年に何回か「爆発的に深酒をしたい!」という時が訪れるのだが、これは身体の(というか心の)ガス抜きのようなものなのだろう。

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