シンポジウム「長伐期施業への挑戦」と内山節氏の講演 … 森林施業・地域文化/講演2015/01/25

森づくりシンポジウム東大農学
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今日は東京大学農学部の弥生講堂アネックスセイホクホールで行なわれたシンポジウムに参加してきました。

「200年先、日本木造文化財の維持保全に必要な補修用材の為の森づくり -- 長伐期施業への挑戦」という長い名前の題がついたシンポジウムでした。

伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮(完全に建て替え)にせよ、出雲大社の60年ぶりの大遷宮(実際には屋根の修繕が主な工事)にせよ、薬師寺東塔の解体修理にせよ、国宝・重要文化財などの修繕では、使用される木材も300年もの、400年ものが必要となります。
また、今後もそういった歴史的建造物の修繕や建て直しなどは続々と待ったなしで出てきます。

それらを今後あるていど永続的に国産材で確保するためには、どのような森林施業をしていけば良いのかが、大きな課題になっています。
現状では樹齢300年、400年あるいはそれ以上の大径木はすでに全国的にも枯渇していて、使える木はあらかたすでに切り尽くされているといっても良いでしょう。

大径木が枯渇している一方で、敗戦後に大量の木材需要を見越して日本各地でスギ・ヒノキの大植林が行なわれ、そのとき植えられた木が60年以上経って一斉に大量伐採の時期をむかえています。しかし(木材の自由化で制限なく入ってきている)外国産木材と比べるとコスト高という理由で、国産材は有効に使われずに山林に放置されたままの状態でいます。

そういう中にあって、大径木の生産(長伐期施業)をいかに進めていったらよいのだろうかを、研究者・林業家・(宮)大工さんのそれぞれの立場で議論し合うのが、今日のシンポジウムの主題でした。
(でも、その話は別の機会にするとして…)


今回のシンポジウムのもう一つの楽しみは、哲学者 内山節(たかし)氏と社寺大工 鳥羽瀬氏の対談でした。
内山節氏は本業は「哲学者」ですが、良く知られているように民俗学やローカリゼーション・農村コミュニティー論などに造詣が深く、話される内容が実践的でとても説得力があります。

氏によると、日本という国は明治維新を境にガラッと変わってしまい、日本人自らが日本という国を破壊してきた、と言います。
今まで(江戸時代まで)の日本という国が持っていたそれぞれの地域性、風土、風習、地域の結びつき、といったものが明治維新以降 一気に姿を消して行った。

強力な中央集権国家となるにしたがって、それまで村ごとに持っていた「自らが貫いてきた自治といったもの」が無くなり、日本全国が同じ尺度で統一化されていくことで、北も南も山間部も海沿いも暖かい地も雪深い地もみな同じ論理で一本化されるようになり、いずれ大きな矛盾を抱え込み弊害だけが目についてくるようになった。

まちづくり、地域の建築様式、使用素材、などなど建築の世界でも全国一律の統一化は大きな弊害となっています。
道路を走ってみても全国同じ街並、同じ町の景色、同じような建物のかたちの連続、使っている素材までも全国おんなじ、という没個性を絵に描いたような光景が日本の今の光景です。

内山節氏は対談の最後に、「日本がこれから進むべき方向を一言で言えば、「伝統回帰」であると言い切っても良い」、と言っていたが、僕もまったくその通りだと思います。

大量生産がいけないとは言わないが、手仕事で作られるものの大切さ、大事さは昔から一環して変わらないものです。
その両方を存続される為の唯一の方法は、利用者ひとりひとりがその使い分けが出来る知恵・知識を身につけるしか無いのでしょう。

そういった努力を今 日本人ひとりひとりに求められているのだ、と強く思ったシンポジウムでした。
森林の話しからは少しズレてしまったが、大径木を語ると建築の世界を言わざるを得ないのですよ。

講演の中では今話題(?)のCLT(直交集成材)の話しも出ましたが、上で書いたように大量生産で出来るものでも要は使い方次第ということなんだと思います。
ただ、CLTを夢の工法のように扱って、林業にも建築現場にも双方に利のある有益な利益を与える画期的な工法である、なんてことは考えない方が良い。そんなに夢のあるものでも無い、と僕は思っているし、そもそもこれが厚いベニア板だと考えれば、CLTで造る建物を「木造」と呼べるのだろうか?

せいぜい呼べて「木質プレファブ建築」という表現くらいだろう。
いやいやそうは言っても、CLTを批判をするつもりなど毛頭ないのですよ、僕は。


つぶやき:独り言
CLTはヨーロッパでは20年以上前から工法として確立しているので、木文化の先達である(?)日本へは逆輸入っぽいニュアンスを持って入ってきているが、もともと日本と欧米では木造の考え方も、成り立ちも、歴史も、思い入れも、全然違うものなんですから、それを「新しい木造の工法だ!」なんて単純に思ったりしてはいけないということなんですよ。

自らの足元をしっかりと見据えて、今まで歩んできた日本の建物の歴史(ここで言う建築の歴史とは、日本建築史の教科書に載っているものだけでなく、農村/山村の民家や杣小屋なども含む日本の建物の全てということですが)を再評価してから、受け入れても決して遅くは無いと思うんですよ。

それと、一般に木造在来工法(軸組工法)と呼ばれているものは、明治以降に造られた工法ですから、それ以前には日本には存在しなかった工法ですよ。ですので、よく考えれば在来ではないんですよね。では、それまではどうだったかと言うと、今言われている「伝統工法」というのが本来の在来工法なんですね。
今の在来工法に近いかたちが出来た明治時代から大正時代には、すでにアメリカから2×4や2×6工法が盛んに輸入されていますので、歴史的に見れば今言われる在来工法も2×4(枠組工法)も日本においては同じくらいの歴史ということになりますね。

さらに言えば、在来工法が本当に今の姿になったのは、敗戦後しばらくしての昭和30年代中頃以降のことです。
プレカット工法になったのはもっと遅くですから、在来工法といっても今の軸組工法が確立したのはほんとについ最近のことなんですよ。

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