建築士会全国大会・交流セッション … 邸園/文化財保全・ヘリテージマネージャー2012/10/19

建築士会全国大会・水戸へ
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邸園(歴史的建築物)保全活用推進(ヘリテージマネージャー)の活動にも大きく関係する、全国大会の交流セッションに参加してきました。
横浜駅に集合して、水戸のいばらき大会の会場に向けて高速道路を走ります。

建築士会全国大会の中の交流セッション・ヘリテージ保全活用支援タスクフォースプログラムの一環です。
「ヘリテージマネージャー(HM)活動の課題と展望」- ガイドラインとその普及 - と銘打って、全国で行なわれているHM活動や文化財登録の現状などの報告が5例ほどがあり、続いて「全国ヘリテージマネージャーネットワーク協議会」の設立式が行なわれました。

兵庫県が先陣を切って2004年に始めたこのヘリテージマネージャー制度ですが、神奈川県でも今年で4年目を向かえた取り組みということで、私も今年になって参加させてもらってます。

この活動の素晴らしいところは文化財級の建築物に限らず、その地域文化を担ってきた文化遺産としての建築物・土木遺産にスポットを当て、地域に埋もれているものを探し出し(拾い出し)登録し、保存・活用事業へとつなげて行こうという市民目線というか地域目線の取り組みが主体にある点だと思います。

こういった取り組み自体は小さい規模では今までもあったでしょうが、それを体系化しネットワーク化していこうという流れはここにきてやっと始まったという感じだと思います。

これはまた阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害時に被害にあってしまった文化遺産の診断・修繕・保存などの活動についても、このネットワークを生かしてお互いに文化財ドクターやヘリテージの専門家を派遣し合える体制づくりの提案など、一歩踏み込んだ提言や報告がなかなか素晴らしく、とても役に立つ内容の交流セッションでした。

・・・定期的に つづく

無花粉杉の雄花採取・調査実習 … 森林インストラクター・WanderVogel2012/10/20

無花粉杉の雄花採取
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本日の森林インストラクターの講義と調査実習は、無花粉杉の雄花の摘み取り採取と遺伝子レベル?の専門的な講義でした。

自然環境保全センターの研究職の齊藤先生が講師となり、「健全な森林づくり2」種の採取から苗木づくり に関するレクチャーでした。
生物学に関する知識の薄い私には遺伝子やDNAなどの専門的な話は、先生の懇切丁寧な解説を聴いても、たぶん半分も理解できないほどの非常に濃〜い内容でした。

特に、齊藤先生の研究されている「無花粉杉」については、すでに神奈川県や東京都の山に続々と植林されている(植え替えられている)ということですので、花粉症のひどい僕には朗報でした。
(写真はその無花粉杉の雄花の採取作業のスナップです。この雄花から無花粉杉の種子を取り出すのだそうです。)


Biological Diversity (生物の多様性)について、日本国内に分布する同一樹木の地域による遺伝子の多様性は、同じ国内といえどもその地域の環境に合わせて(人の営み同様に)樹木自身が(自ら遺伝変異させて)多様性を形作っているという自然界の「神秘」と「したたかさ」を再確認しました。

その考え方をベースにして、昔から林業では(林業種苗法で)広域的な苗木の移動を制限しているのだ、という点にも大いに納得です。

建築の(特に民家の)地域ごとの独自性や多様性もこれとまったく同じことですが、そういったことを研究テーマにしている建築の学者は多くいても、なかなか実践(地域ごとの保存や利活用がうまく回っていないために、貴重な地域の文化遺産が毎年毎年消えてなくなっていたり、安易に他の地域に切り売りされている、という流れを打開する方策)に結びつかない現状を見ると建築は林業に負けてるな、と感じる。

秋田へ行けば秋田の山や森が、信州に行けば信州の森が、という具合に(一部で自然環境の破壊が取りざたされているにせよ)少なくとも僕たちが日本のあちこちを旅すれば感じる地域の「違い」を、建物や都市景観、走り抜ける町並みにそれを感じるかといえば完全にNGですね。

日本国内に分布する建物や町並み景観の「地域による遺伝子の多様性」の保存については、、、後世に受け継いでいくのは、、、
かなりの「努力」が必要です。


岳人11月号・藪山岩山読本 … WanderVogel2012/10/21

岳人11月号
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岳人11月号、表題にある秋の藪山、岩山案内記事は楽しい文と写真構成で、行ってみたい山がまた増えてしまったなあ、という感じです。

今月号の記事で読み応え、見応えがあったのは、新谷暁生(シンヤ アキオ)氏の「北の山河抄」と、シッキム歴史紀行・中国国境の山々の記事と写真でした。

特にシッキムの記事では、North Sikkim(The Plateau)の山々を望む峠付近までカルカッタからのパッケージ観光客が入れるようで、何とも隔世の感があります。

僕が行った頃(1983年)はシッキムはまだインドと中国の軍事紛争ラインであってかなり緊張感のある地域でしたので、観光するだけのパーミッションでさえ取得することが出来ず、シッキムの玄関口Gangtokまでしか行けなくて相当悔しい思いをした経験があるので、そんな思いもあって羨ましく読ませてもらいました。
(いつか行ってみたい!と思わせてくれる写真でしたよ)

12ページも割いて特集されている 第2特集「ユネスコエコパーク」の記事は期待していたテーマだったのですが、突っ込みが足りず何となく中途半端な内容で終わってしまっているのが残念でした。


浦安・猫実の庚申塔(正徳五年/1715年) … 邸園/文化財保全・HM2012/10/24

浦安/猫実の庚申塔
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浦安方面に打合せに行ったおりに見かけた、立派な猫実(ねこざね)の庚申塔:浦安市指定有形文化財。

大きな自然の石に「庚申塔」と彫られただけのものは地方に行くと良く見かけますが、ここにあるのは庚申の本尊である「青面(しょうめん)金剛」(狛猿の頭の上にちょうど姿が見えています) が邪気を踏まえて浮き彫りにされ、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿(さんえん)も刻まれた本格的で立派な庚申塔です。

脇に立てられた説明書きには、正徳五年(1715年)1月で猫実(ねこざね)村の庚申講の信者によって建立された、と書かれていますからかなり古い時代のものです。

庚申信仰は中国の民間信仰から発達した「道教」の教えに由来します。
体内に棲むという「三尸(さんし)」の虫が、六十日に一度の庚申(かのえさる)の日にその宿主の身体を抜け出して、天に昇って天帝に宿主の日頃の悪い行状を告げ口をしに行くのだそうです。

あることないことを告げ口されて、寿命まで縮まってしまうのではかなわないので、庚申の日の前日からみんなで集まって徹夜で宴会をして起きていれば三尸も抜け出せないので、告げ口もされない、という都合の良い解釈(信仰)で人気があった「庚申講」です。


江戸時代には一層盛んになり、あちこちにこういった「庚申塔」がたくさん建てられたようですが、江戸時代から明治時代に入ると、明治政府は庚申信仰を「迷信」と位置付けて、街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進め、多くが壊され撤去させられたといいます。

また、その後の高度経済成長期には道路拡張や都市部の開発によって、残っていた庚申塔のほとんどが撤去や移転で急速に姿を消していったという背景があります。

ですので、浦安/猫実(ねこざね)の町中に、良くこのような立派なものが残っていたなぁ〜、と感激して写真を撮ってしまいました。

青面金剛像を中心に、狛犬ならぬユーモラスな姿の狛猿が二頭、阿吽の姿で両脇を固めています。

・・・不定期につづく

今夜はJAZZを聴きながら … JAZZ MUSIC2012/10/26

BUD POWELL
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今夜はちょっと余裕で、またまたお酒を飲みながらのJAZZ NIGHTです。

BUD POWELLのThe Scene Changes (blue note 80907)。
1曲目に有名なCLEOPATRA'S DREAMが納められている珠玉の1枚です。
どの曲もスインギーで素晴らしい。特に酔った頭には。
BUD POWELL:piano、PAUL CHAMBERS:bass、ART TAYLOR:drums

Jazz Blog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2010/03/09/

横浜都市発展記念館・常設展示 … 邸園/文化財保全・HM2012/10/28

横浜の歴史展示
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横浜みなとみらい線「日本大通り」駅の真上にある「横浜ユーラシア文化館」に併設して(というか名目上こちらの方がメインなのですが…)「横浜都市発展記念館」があります。

2階・3階は「横浜ユーラシア文化館」で、東洋学者/江上波夫氏が所蔵していたユーラシア文化に関する貴重な資料や文物が展示されいて、こちらもじっくりと見ると2時間・3時間など直ぐ経ってしまうほど素晴らしい内容です。
そして、4階には横浜の開港以来のいろいろな出来事や都市の発展、文化・時代の移り変わりなど興味深いテーマで内容濃く展示されています。

10/15の富岡製糸場のBlogで書いたことに深く関係する「文明開化」の日本の時代背景や世相を知ることが出来、二つの都市が生糸の生産地と輸出港として一本につながっていることがよく解ります。そしてそれが世界と密接につながっていたことも理解することが出来ます。

写真はそれより少し下った1930年代初頭(昭和5年から昭和9年ぐらい)の風景や世相を紹介するコーナーです。
真ん中に写っている女子学生はその頃のフェリス女学校、横浜雙葉学園の女学生の姿だそうですが、このように山手にはキリスト教系の学校や外国人住宅、外国人/外交官向けのサロン・劇場などモダンでアール・デコな建物が続々と建てられていった時代です。

合わせてイセザキ地区には、外国人やハイカラな日本人相手のダンスホールやミュージックホール、カフェ、デパートなどが立ち並び一大歓楽街になっていきます。

明治から大正・昭和へと変わっていくその急激な変化の様子は、その時代に生きた人にとっては(今考えてもそうでしょうが)今まで経験したことのないような、本当に「夢のような」時代だったのでしょうね。
そしてそれを引っ張っていった人たちはみな、幕末(江戸時代)に生まれた人たちだったということに尊敬と驚きを禁じ得ない。

写真左側「郊外」の紹介コーナーの、(京浜急行が京浜湘南電鉄とよんでいた時代の)行楽ポスターが楽しい。

ハイキングは今と変わらず「三浦半島めぐり」や「湘南アルプス越え鎌倉コース」「鷹取山から神武寺コース」などが紹介されていますが、遊覧では今は無き「花月園」や「追浜航空隊と横須賀軍港」を巡るコースなどというのもあります。
催し物のハイライトが「花月園」を会場とした「満州国境警備博覧会」というのが何とも時代を感じさせますが、その他は今の時代と同じような のどかな観光パンフレットです。

京浜湘南電鉄の路線は品川から久里浜や新逗子など今とまったく変わらない路線網がすでに完成していて、郊外住宅地開発、京浜別荘地開発が盛んだったことを想像させます。
旧来からの観光地であったここ金沢八景も、交通網の発達と共に一気にリゾート化していく時期だったのでしょうね。

・・・不定期につづく

日印国交樹立60周年記念 特別展 … Art・WanderVogel2012/10/29

インド神話の世界展
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昨日、横浜大桟橋近くの「横浜ユーラシア文化館」で開催されている、日印国交樹立60周年記念 特別展を見てきました。

インドは昔も今も「不思議がいっぱい」の国です。
僕も学生時代から通算すると、延べ1年以上の日数をインドで過ごしたことになりますが、行くたびに新しい「不思議」をもらってきます。

街中にたくさんあるヒンドゥー寺院だけでなく、各家庭には必ず祭壇があって様々なヒンドゥーの神様がかざってあります。
長距離バスの運転席にも神様の絵は必ず何枚か貼り付いていますし、街道の主だった箇所には大きな祠が目立つように祀られています。

これはチベット仏教にも通じるものがあり、ネパールやチベット、ラダックなどでも同じような“空気感”があります。
チベット仏教も神様の数の多さでは知られていますが(どちらも根はバラモン教ですから)、それと比べてもヒンドゥー教が数では一番でしょう。
何せ仏陀でさえヒンドゥー教ではビィシュヌ神の生まれ変わりとしていますから。

今回開かれている特別展では、ヒンドゥー教の美術を見るという感覚よりも、インドの日常で神様がどう扱われ信仰されていっているかを教えてくれる展示になっています。
ですから、出展されている作品は現代作品(19世紀末から20世紀初頭の石版画が中心です)が主なもので、神話を題材としたインドの家庭でよく見られる神様の絵で構成されています。


インドの建築に使われているような(エローラやアジャンタの)神様の彫像やミニアチュール(ムガール時代の細密画)、ミティラー画(ガンジス川平原東部の民画)、タペストリーやイカット(タール砂漠周辺やアーマダバードなど)に織られた作品などを期待して行くとかなり拍子抜けしますので、あくまで現代に生き続けている生活の中でのインド神話の紹介という位置づけで楽しめる展示になっています。

インドと横浜との結びつきの深さをあらためて知ることが出来る紹介/展示もあって、そちらもなかなか感じさせるものがありました。

昨年のnepal山行リポート:ネパール ランタンヒマール トレッキングリポート
nagao's Blog :http://blog.goo.ne.jp/hd2s-ngo 

屋根の素材:フランス平瓦と天然スレート瓦 … 邸園/Art・HM2012/10/31

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以前、横浜の明治時代の建物に使われていた本物のジェラール瓦を手に取ってみたことがあります。

今、日本で手に入るフランス平瓦は左のような肌合いの厚手のテラコッタの瓦だと思いますが、その(横浜で明治時代に焼かれた)ジェラール瓦は日本の土で焼かれ日本の風土で作られたのでフランス人が指導して製作したにしては何となく「和」の風合いのある瓦でした。

日本の瓦は縦横とも揃った葺き方をしますが(スパニッシュ瓦とは違う)フランス平瓦の場合は千鳥に葺いていくのが特徴です。
(写真左の瓦は千鳥に葺いていくと屋根全体が鱗(うろこ)状になるという、いかにも仏蘭西風デザインの平瓦です。)

真ん中の黒い板は天然スレート瓦で、東京駅の屋根などで有名になった石瓦です。
これは天然のスレート(石盤)を薄く剥ぎ取って成形し、四角い板状にしたもので、これも千鳥に葺いて屋根仕上げとして使います。

フランス瓦も天然スレート瓦もずいぶん前(震災前)に僕が設計した施設の屋根で実際に使ったものですが、スレートの方は使う面積が広かったので、国産(東北の石巻・雄勝産)のスレート瓦では数が揃わず、スペインや東欧の方から輸入した記憶があります。

日本のスレートはヨーロッパ産のそれと違い、若干小振りで色合いも微妙に違っていて、二つを屋根で葺き比べてみると「西洋」と「和」の違いが不思議と出るものなのですね。

右の本は2010年に横浜で開催された「西洋館とフランス瓦 展」の小冊子ですが、横浜の西洋瓦製作の歴史を易しく解説している良く出来た冊子です。

関連するBlog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/04/

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